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福音伝道教団大間々キリスト教会紹介 ● 新しい出発 「1985年3月10日、私たちは4丁目にありました教会堂を焼失させてしまいました。そこで教会堂の建設を余儀なくされました。 このことは人の知恵ではとうていはかりしることのできないものであり初めであり終わりでもある、世界と歴史を支配する神様の深い摂理によるものと信じます。 すぐる4年間、会堂建設の経験のない者たちが、祈りの一致の中にどうしたら神が喜ばれるか真剣に話し合い、相互のゆるしと忍耐の中に準備をし、建設を進めてまいりました。 そして今ここに完成にいたりました。 私たちは宣言します。神の御名の栄光のために、神を礼拝し、みことばを宣べ伝え、聖礼典を行い、主との交わりと奉仕の場として、又新時代を創造する教会を目指し、 福音宣教の拡大発展のため、そして地域社会と住民への地の塩、世の光となる教会形成のための場として、神の計ることのできない恵みを感謝し、大いなる讃美と喜びを持って、神の御前と全会衆の前で、この教会堂を献げ、永遠に神のものであることを告白し宣言します。」 これは、1989年9月15日、新会堂の献堂式で私達教会員一同が真心から宣言した献堂宣言です。私達は、この宣言をもって再出発をしました。 ● 教会活動 そこで、私達はこの宣言に沿って、毎週、主の日の午前は大間々教会堂で、午後は大胡教会堂で礼拝を守っています。週間の集会は、各週の月曜日と木曜日、月4回、「ハンナの輪」という祈祷ノートを用いて、ひたすら祈るだけの祈祷会を行い、水曜日の午前と夜の二回の聖書研究会は、第一は新約研究、第二は旧約研究、第三は歴史神学、第四は組織神学を学び、毎週木曜日の午後は大胡地区の在住する4つの家庭が解放されて、そこで家庭集会を行っています。 |
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● 新会堂 新会堂は、写真にあるように、三位一体の神様を象徴するかのような、地面よりのびた逆v字の大小三つの組み合わせによって出来ています。屋根と外壁が一体となった外観をもち、二階を設けず、建築面積約41坪と比較的小さい割には、天井までの高さが約9・7メートルと、3階の高さに匹敵する、大きな、贅沢な空間をもった会堂です。そして講壇真後ろには、黙示録にでてくる、神の都にある12の宝石で出来た城壁を象徴するかのような、床らか天上まで約9メートルの高さに、一直線に伸びた色ガラスがはめられていて、眩しいほど美しい、非常にユニークな会堂です。 |
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● 今日までの歩み 福音伝道協会(現、福音伝道教団)が大間々町に最初に伝道をしたのは、1922年(大正11年)9月のことでした。当時足尾教会でご奉仕をしていた、バーネット師、市村好恵師、舟喜燐一師が中心となって、堀内文一師、小島伊助師の両師を講師に約2週間の天幕伝道を行いました。この時、バーネット先生の中に、群馬、埼玉、栃木と日本の中央部位置する三県への伝道のビジョンが明確になった記念すべき伝道会でした。 足尾がグリン・ビビアン・マイナーズ・ミッションの伝道地であるならば、大間々は、福音伝道教団の最初の伝道地とも言えます。 1933年(昭和7年)に栗原重次師が牧師として就任し、翌年には大間々町の中心地に、約9坪の新会堂を建築し伝道活動が本格化しました。 1945年(昭和20年)8月、敗戦を迎え、翌年1月16日付けをもって、福音伝道協會の諸教会は、日本基督教団から離脱しました。それに伴い、福音伝道協會大間々基督教会も日本基督教団小曽根町教会から離れ、福音伝道協會大間々基督教会として戦後の歩みを始めました。 1950年(昭和25年)には、同桐生基督教会牧師吉村房次郎師が主管牧師として就任しました。同じ頃、セントラル・ジャパン・パイオニヤ・ミッション宣教師であるT・C・ウイルソン師がニユージランドから来日、大間々基督教会を中心に近隣の町々村々に伝道を行いました。そして1958年(昭和33年)には、教会員数も30名を数えるようになりました。しかし、決して順風満帆というわけでありませんでした。この頃、異なった信仰を表明する者が起こり、教会は二つに分裂し、1960年(昭和35年)には10名にまで減るというつらい経験もありました。 この間、野田美代子伝道師、小野瀬年子伝道師、G・ジョンズ宣教師、N・S・ヤング宣教師、松本幸枝伝道師、井野利子伝道師、須田善一牧師、広岡アイ子牧師等が次々に就任されました。 そして、1976年(昭和51年)高木寛牧師が就任し、現在に至っています。数年前ガーナの方の葬儀を行った事がきっかけで、ガーナ人が数人礼拝に参加するようになり、又同時通訳者も備えられ、その一人が洗礼を受け教会員に加わっています。又台湾の方も加わり、その結果、交わりの地域的、人種的広がりが与えれら、その豊かさを味わっています。開拓伝道をしていた大胡教会は、中古住宅を購入し教会堂として献堂する事が出来ました。今後の課題は、伝道は言うに及ばず、墓地建設や後継者問題を重要課題として取り組ませていただきたいと願っています。 |
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四つのビジョンの確認に至る経過について(歩みについてはここをクリックしてください) |
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大間々キリスト教会のビジョンは以下の「四つのビジョン」です。 1、新時代を創造する教会を目指す。 2、福音宣教の拡大発展のために。 3、地域社会と住民への地の塩、世の光となる教会形成を志向する。 4、100人教会を目ざす。 このビジョンの確認に至った経緯は以下の通りです。 ●第一に、1985年3月10日教会堂焼失後2年を経過した段階で「新会堂は焼失跡地に建築すべきか」「新しく用地を求めるべきか」「会堂の総面積(収容人数)はどのくらいにすべきか」等、なかなか決定できず建設の働きは遅々として進みませんでした。 その原因の一つが、教会のビジョンがないからだという認識に至ったことです。 ●第二、火災の起きた年の10月、10年後20年後を展望して「教会堂建設に関するアンケート調査」が行われました。その資料を参考に信徒懇談会等でも話し合い、1987年5月臨時教会総会で以下のような6項目のビジョンを提案するに至りました。 1) 次の時代を担う教会となりたい 2) 大間々広域圏の伝道のために 3) 100人教会をめざしたい 4) これから救われる人々に奉仕するため 5) 町の発展の流れの方向に建てたい 6) 現状の維持よりも拡大発展をめざす。 しかし、幾つかの課題が提起され議決することができず、再度整えるために建設委員会と役員会に一任することになりました。 そこで以下のような話し合いの結果、現在の四つのビジョンに整えられ、1987年9月の臨時教会総会で議決されました。 ◎第1項目の「次の時代を担う」というのは、将来を展望した場合消極的過ぎるとの意見があり、21世紀を迎えるに時期でもあり、「次の時代」を「新しい時代」としました。また、聖書がキリスト者に期待しているものは、時代に流されるのではなく、新しい時代のあるべき方向を示し、むしろ切り開いていくという方向性をもっているので「担う」を「創造する」という積極的なものに修正し、現在の第1ビジョンとして確認されました。 当時、牧師は教会の閉塞感や疲弊感を生み出している原因の一つに神の本質である創造性や創造力の欠如にある。神が持っておられる創造性や創造力がクリチャンに溢れているならば、たとえいろいろな問題や壁にぶつかっても乗り越えるさせていただけると考えていました。この考えを支持する文言に修正されたので牧師は支持した記憶があります。 ◎第2項目の「大間々広域圏の伝道」に関しては「このためだけの教会(教会堂)で良いのか」「世界宣教は取り組まないのか」という意見がありました。 当時、日本の福音的な教会で、宣教を海外と国内とに分け、まず国内(足元)の伝道を優先し、その後に海外宣教へと取り組むべきであるという理解(福音伝道教団でも同じような理解でした)対して問題提起がなされるような時代でした。そして、宣教の拠点は日本の各地域教会である(大間々町の伝道こそ世界宣教の課題に取り組むことである)という神学的な転回となる時期と重なっておりました。(1991年塩原で開催された第3回日本伝道会議で確認されていきました)この第2項目は第5、第6項目を集約する方向で、現在の第2ビジョンとして確認されました。 ◎第3項目の「100人教会」は新教会堂の総面積(収容人数)を決定するための資料として、1985年10月27日に実施した「教会堂建設に関するアンケート調査」の結果から割り出した人数(総面積)でが、このビジョンの根底に流れている考えは決して人数と言う数を問題にしているのではありません。その真意はこの会堂に会衆が満ちることを願っているものです。しかも、このビジョンを最後にしましのは、第1ビジョンから第3ビジョンが達成する過程で、その結果(目標ではなく)或いは実として会堂に会衆が満ちるようになるという信仰から確認されたものです。 第4項目の「救われる人々に奉仕する」ことについては、「教会は救われる人だけに奉仕するのか」とういう問いが出されました。実は火災の後、教会も牧師家族もクリチャンはもとより、地域の方々を初め多くの未信者の方々から物心両面にわたり様々援助を頂きました。このことに対する感謝とお礼はどうすべきか。という課題を持って話し合っていました。 又、1974年スイスのローザンヌで、福音的な教会が集まって、宣教に関する世界伝道会議が開催され、その結果「ローザンヌ誓約」が世界に向けて発表されました。その特質すべき点の一つが教会の社会的責任を果たすという誓約でした。それは未信者も含んで教会は社会に対しても奉仕をしましょう。そして、社会変革のための行動にも参与しましょう。という理解でした。福音伝道教団は創立以来「福音宣伝行動において一切の社会的、政治的問題に関与せざることを定む」という規則の下で伝道を行ってきましたが、ローザンヌ誓約に沿って、現在の第3ビジョンとして整えられたものです。 そして、これらの4つのビジョンを確認することによって、初めて旧会堂跡地を出るべきだとの結論に至り、現在の場所に新会堂を建築したのです。 |
現在の大間々キリスト教会のビジョンは以下の「五つのビジョン」です。 1 私たちは、聖書を信仰と生活の唯一の基準として神の栄光が現れる教会を建て上げます。 2 私たちは、キリストにならって、自立し、自由と責任を持って、互いに認め、愛し、仕え合い、成熟を目指します。 3 私たちは、聖霊に満たされて、祈りと感謝と賛美にあふれ、地の塩、世の光として地域社会と住民のために生きる教会となるように励みます。 4 私たちの教会は、次の世代を育てながら、世界の教会とともに、あらゆる人に対して福音の宣教に努めます。 5 牧師は、御言葉を正しく理解し、真理を語り、信徒の信仰を支配しないで、良い牧者として神と人とに愛をもって仕えます。 2015年2月決定 |
牧師 木 寛 |